讃岐うどんと、どうでしょう

蕎麦好きを自称してはばからない自分が、なぜかいまは「讃岐うどん」が好きである。

ラーメンは別としても、蕎麦粉の挽き方やら提供の仕方のバリエーションとして、うどんが蕎麦に敵うはずがないと信じてやまない自分に、「うどん」の旨さを知らしめたのは、どうやら「水曜どうでしょう」のようだ。

自宅からそんなに近くはないのだが、ちょっと郊外にできた讃岐うどんのチェーン店に週1回は通うようになり、今日は「釜玉だ」、それじゃ今度は「ぶっかけだ」などとその違いを吟味するような行動をとるようになったのも、折に触れてどうでしょうの各シーンを思い起こしてのことなのだ。

例えば、四国八十八ヶ所シリーズの「山田家」だったり、対決列島の「山越」だったり。ほんの一瞬しか登場しないその店で、大泉らがすすり込んで発する「うまい!」のひとことに、たまらず食欲をそそられるわけである。

しかしながら、そんな習慣にになりつつあるのもここ最近のことで、確かに夏のツーリングで四国を訪ねたときにご当地名物として「讃岐うどん」を口にしていたことは普通にあること。はじめてバイクで高松を訪れたのは、思い返すと2007年の夏。そのときの目的地である「イサムノグチ庭園美術館」のすぐそばに位置していたのが、あの「山田家」なのだ。どうでしょうを知る前に、じつはまったく意識しないままに「ロケ地に行ってました」ということになるわけである。

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そのときに食べたのが、「ざるぶっかけ」だったのかどうかはいまは思い出せないけれども、讃岐うどんの第一歩はそこから始まったことは確かだろう。それは奇しくも、どうでしょう本第2号「もっと四国」の「一杯百円の幸せ」のなかで、「山田家」のうどんがまずかったら、二度と四国に行かなかったかもしれないという藤村Dの言葉にあるような、一種の運命的なものがあったのかもしれない。

その後、今日にいたるまで四国には合計4回ほどバイクで訪ねているが、ほとんど名店と謳われるうどん屋を回っていないのは、意識して水曜どうでしょうを見ていなかったことによるものであろう。いまとなっては、「山越」に行きたい、「いろりや」はどんなだ?…なんて思うにつけて、日ごろ蕎麦好きを装いつつも隠れてうどん屋を求めている自分に、表立って「どうでしょうマニア」を胸はって公言することのない奥ゆかしき藩士の姿とオーバーラップさせてしまうのは、なにかそこに因果関係があるのかもしれないと思うようになったためでもある。

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